化哲感想

アファンタジア(映像を想像できない) 2013入社(メーカー技術)

強迫観念・退屈・虚しさとの戦い 悩みの種類を整理してみた 『けいおん!』等も例に

  生きていると悩みがつきません。

 病気のときは健康でさえあれば幸せなのにと感じますが、健康なときは健康であることのありがたみを忘れ、他のことで現状に不満を抱きがちです。仕事が忙しいともっと楽に生きられればいいのにと思い、仕事が暇だと退屈を感じがちです。また、生きがいを感じながらいきいきと生きられるときもあれば、何もかも虚しいと感じるときもあります。

 最近『暇と退屈の倫理学 増補新版』を読み、「退屈」という観点から、悩みを捉える視点を学びました。一人の人間の悩みの経時変化も、古今東西の人間たちの悩みの違いも、まとめて分類できそうなので、今回自分なりに整理してみました。

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強迫観念・退屈・虚しさ 状態の分類

状態A 生存の危機

 悩み事がない筆頭者として、重病人、重傷者、最前線の兵士など、生存の危機に瀕している人が挙げられます。キャラクターの例としては漫画『はだしのゲン』の中岡ゲンを挙げます(主に戦後になって社会への不満を抱く時点では違いますが)。日本社会で該当するのは戦時中です。私は概ね健康なため、病気でこの状態になるのは、せいぜい頭痛に見舞われたりインフルエンザにかかったりしたときくらいです。ただ、大学院生の頃は周りに中退者が続出するほど環境が過酷で、明日は我が身と怯えていたためこの状態に該当していました。ブラック企業にいるのに近い状態だったのです。

 この状態では悩みを抱く余裕などなく、とにかく死にたくない、又は体の苦痛をなくしたいという思いしか抱きません。

 あえてこの状態Aに移行する人もいます。バンジージャンプやジェットコースターの楽しみは、危険なことに身をさらして恐怖を味わうことによっています。このような恐怖の前には、日常の悩みは一時的に吹き飛ぶのです。

 

状態B「忙しいけどこれでいいのだ」

 自分の生き方・行動に意義があると実感している人です。現代人にとっての意義の多くは「進歩」でしょう。

 「高度成長期やバブル時代は生活が進歩しており活気に満ち溢れていた。一方で平成になってからは社会全体が停滞し閉塞感が漂っている。」こんな言説を頻繁に新聞等で目にします。高度成長期やバブル時代を経験した世代にとっては、確かに良い時代だったのだろうと思います。比較的楽に生きがいを感じられたわけですから。労働者は社会の進歩に貢献している実感をもち、生活者は生活の向上を実感できました。

 学業に打ち込む学生(私の受験生時代です)は、勉強を楽しみ、かつそれが将来につながると確信しており、意義深い日々を送れます。

 子育て中の親は、忙しい日々を送りますが、子育て自体を楽しみ、子供(や自分)の成長を実感します。さらに、昨今では少子化により子育てが推奨されているため、親は自分の行いに社会的価値があると感じられることによってさらに満足できます。

 中世のヨーロッパでは、(少なくとも庶民には)キリスト教を疑う人がほとんどいませんでした。死後天国に生まれ変わることが人生の目的であると確信できた時代でした。生き方に迷うことはあまりありません。

 孫正義のような、義務感によってではなく自然体で事業を行うエリートも悩みが少ないでしょう。自分の行いに意味がないのではないかと(たぶん)感じないからです。ただ、事業を行うだけの能力が伴わないと、以下の状態Cに陥ります。はじめは状態Bにいても、老化や傷病により能力を失い状態Cに陥る場合もあります。孫正義が病気で入院したらそうなるかもしれません。

 

退屈、充実感の意味

 説明があとになりましたが、このように、何らかの価値観にとらわれて強迫観念を抱いている状態を退屈がない状態とみなしました。逆に言う方がわかりやすいですね。退屈がある状態というのは強迫観念を抱いていない状態です。退屈というのは、やらなければいけないことがあると失われてしまいます。

 ただし、『暇と退屈の心理学』では暇を3種類に区別して分析しています。強迫観念を持つ人も、この本で言うところの第1の退屈(仕事が中断される間の退屈)にさらされます。

 充実感については、これでいいのだと思える状態を充実感のある状態とみなし、これが悩みの少なさと連動していると捉えています。

 

状態C 「このままじゃダメだ」

 「私はこんな生活を送りたい。でも今の自分には無理だ。」「世の中をこんなふうに変えたい。でも今の自分には無理だ。でも今の自分には無理だ。」このような悩みを抱えるのが状態Cです。ほとんどの人がこれに該当するのではないでしょうか? 何らかの価値観・理想を持っているがそれに応えられないため、強迫観念に苛まれます。

 私の場合、大学1~3年生のときは将来仕事としてやりたいことがないことに悩んでいました。やりたいことがないと仕事が選べないという強迫観念です。

 

okushishu.hatenablog.com

 また、社会人になりたての私も、強迫観念による悩みを多く抱えていました。常に自分の粗探しばかりしていたのです。仕事が思い通りにできないとか、人との会話がスムーズにできないとか、英語が聞き取れないとか、そういう悩みに覆われていました。今でもそういう状態にしばしばなりますが、「うまくできればそれにこしたとはないが、できなくても大した問題ではない」とおおらかに捉えられるようになってきています。私が持っていた「あれもこれもできなければならない」という価値観(理想)が自分を苦しめていることに気づき、徐々にそれを手放していくように努めた成果です。

 30歳くらいになって周囲に既婚者が増え、自分も結婚しなければと感じる人もこの状態Cに該当します。周りに置いていかれないようにしたいという価値観ゆえの焦りです。ただし、周囲に(あまり)影響されず、自然に生きた結果結婚した人は当てはまりませんし、結婚しないと生活が成り立たない人は、状態Aからの脱出を目指すことになるため当てはまりません。

 また、結婚しないと(家庭をもたないと)生きがいが得られないという思いから結婚したがる人もいますが、これも状態Cと言えます。この場合、結婚すれば子育て等に有意義な時間を過ごせるようになることを期待しており、状態Bへの憧れとみなせます。上記の高度成長期やバブルを懐かしむ人も同様ですね。自分の行為に意義を感じることによって充実感を得られるようになりたいわけです。

 夏目漱石こころ 』の登場人物Kも状態Cに該当します。彼の台詞「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」は彼の生き方を反映しています。高みを目指すことを良しとし、現状の自分を否定する態度です。Kは寺の子ですが、自分を向上させたいという欲にまみれており、ある意味で無我の境地(後述の状態F)には程遠いです。

 

状態D 虚しい

 「どうせ死ぬのだから何をやっても意味がない。」「自分が死んでも世の中に困る人は(ほぼ)いない。」「何か重要に思えることがあっても錯覚に過ぎない。」現に私はこういう実感を持っており、しかもそれは誤解ではなく正しい認識だと思います。いわゆる相対主義(人それぞれ主義)です。

相対主義 - Wikipedia

 最近までの私がこれでした(まだ完全には克服できていませんが)。仕事をしていて成功や成長を喜ぶこともあるものの、よく考えるとなんの意味もない(わざわざ苦労してやるほどの意義があるのか?)という虚無感が膨らむ一方でした。衣食住が足りるこの時代に、毎日毎日苦労して働いて実現しないといけないことなんてほぼありません。でもこの経済体制や世間の価値観では、働かずに生きるのは難しいことです。だからしかたなしに、小さなやりがいに見合わない大きな苦労に耐えながら働くのです。

 現代社会は資本主義社会であり、進歩や成長を目的としています。社会が求める人材は、進歩や成長の価値を信じる人です。しかし、一旦それが虚構に過ぎないと実感してしまうと、虚しい人生まっしぐらです。

 (この辺のことは14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキストに詳しいです)

 

状態E 気晴らしに打ち込める

 気晴らしというものは絶対的な意義や価値がありません。それを認めたうえで気晴らしに打ち込める状態が状態Eです。気晴らしとしては、「なくても困らないが、味わうと楽しい」モノとしての芸術と、「できなくても困らないが、できると楽しい」行為としての趣味に分けられます。こういったことに打ち込める状態Eは理想的だと考えます(『暇と退屈の心理学』が推奨する生き方もこれです)。

日常系・空気系の物語 『けいおん!

 アニメ『けいおん! 』に出てくる平沢唯は、状態Eの格好の例です。私はこのアニメを見ていて、キャラ達が軽音部の活動を熱心にしないことにわだかまりを感じていました。バンドという趣味をやるからには高みを目指すのが面白いはずなのに、なぜこいつらは真剣にやらないんだと(『WHITE ALBUM2』とか『響け!ユーフォニアム』みたいに)。でも、違いました。彼女らがしていたのは、趣味は趣味でも気晴らしとしての趣味だったのです。唯は第一話の時点では、暇人でした。何らかのこだわりがあるわけでもなく、打ち込める趣味もなかったのです。それが最終話で、あまり熱心には取り組まないが楽しめるものとして軽音部として活動するようになったのです。

 物語として見ていて楽しいのは、ほとんどが状態A~Cを生きるものですね。戦争ものや闘病ものは状態Aですし、上記『WHITE ALBUM 2』、『響け!ユーフォニアム』、『こころ』、孫正義の生き様なども、何らかの確固たる価値観・理想に基づいて、目標を目指す姿勢というのが美しいのです。私には確固たる価値観・理想を持つことができないので、こういった作品を見ると感情移入にやや苦労します。その点、価値観・理想に縛られずにゆるゆると生きる様を面白く描いた『けいおん!』は稀有な物語といえます。他の日常系・空気系の作品も価値観・理想に縛られない生活を描きますが、『けいおん!』は価値観・理想に縛られそうなバンド生活を縛られずに描いているのがすごいところです。

 まあその話はいずれどこかで。

 

状態F 無我の境地

 無我の境地です。物心がつく前のこどもも、大人のような悩みを持たないため、その心境は無我の境地のようなものでしょう。大人になった後は、瞑想により雑念を排除することで悩みをなくします。瞑想にはかなり憧れているものの、今の私にはまだ語れる知見がありません。これから学んでいきたいところです。

 

まとめ

 生存の危機からも強迫観念からも虚しさからも解放されているのは、状態EとFだけです。この境地にたどり着くのは険しい道程ですが、ぼちぼち目指していきたいものです。