化哲感想

アファンタジア(映像を想像できない) 2013入社(メーカー技術)

『約束のステージ ~時を駆けるふたりの歌~』 夢を持つのはいいが人に託すのは良くないだろう

約束のステージ ~時を駆けるふたりの歌~|読売テレビ


2月22日(金)よる9:00~放送! 「約束のステージ~時を駆けるふたりの歌~」PRスポット

 昨夜放送のドラマを見て、夢を追うことについていろいろと考えさせられたので、整理してみました。

意義あることをすべきなのか

 番組冒頭で、以下のようなナレーションが入ります。

1970年台。日本が活気にあふれていたその時代に(以下略)

 ここには作り手の価値観がよく現れています。人は何か意義あることをすべきだという考えです。以前の記事に書きましたが、バブル以前の時代が懐かしまれるのは、当時は人々が自分の行動に意義を感じやすい時代だったからです。社会の進歩の余地がたくさんあり、意義を感じられる社会的事業に取り組みやすかったのです。

okushishu.hatenablog.com

 そしてこの番組の「夢を追うのは素晴らしい」という主題自体が昭和の価値観に染まっており、自分がタイムスリップしたかのような気分になりました。

 

夢を抱くべきなのか

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本作における夢と人生の関係

 物語の冒頭で、歌手になりたいという夢を追おうとしない主人公の翼を、母が咎めます。田舎で食堂を運営する母に対し、翼が言います。

結局こんなとこで食堂やって終わる人生でしょ。なんのために生きてるかわかんないし。

 彼女らは、夢(目標)を追うことが重要だという価値観に囚われています。

 一方私は、抱いている夢を追うか追わないか以前に、夢はあってもいいがなくてもいいという立場です(前述の過去記事参照)。価値観・理想によって生じる強迫観念にとらわれることなく、気晴らしをして生きていけばいいと考えています。

  このドラマでは、夢がなくてもいいという考えの人が出てきません。夢をもつべきというのは生き方の前提になっています。私も夢を持つ人がいる事自体は悪いことではないと思っており、夢を実際に持つ人がどう生きるべきなのかには興味があります。

夢を追えない人

 夢がある人は、夢を追える人と追えない人とに別れます。翼が言うように、夢を追える人は限られています。翼は夢を負えない原因を当人のやる気にのみ見出していましたが、実際には能力不足も大きな障壁です。歌番組で評価されるほどの歌唱力が翼たちになかったらどうなっていたでしょうか? どこかでやる気を失うか、食うに困るかといった外部要因により、浩一郎のように挫折せざるを得なくなります。

 

夢を負えない人はどうすればいいのか

 私は、そのように夢を追えない人は、理想を抱かずに気晴らしをして過ごせばいいと思っています。上のフローチャートでいうと、初めの分岐点「夢があるか?」にNoと答え、それを容認するのです。そうしないとほとんどの人は「無意味な人生」を生きる事になってしまいます。

 一方、このドラマは、夢を追えない人も夢を捨てることなく救いを得られると説きます。翼の母がそれを表現しました。能力不足と外部要因により夢を追えなかった母は、自分の夢を娘の翼に託したのです。最終的に、翼が夢を追うさまを見て、母は歓喜に包まれます。夢を追える翼と、夢を託すことができた母の二人はとても幸せだった……というのが、このドラマのハイライトでした。

 しかし、これは腑に落ちません。自分の夢を自分で追うことは良いと思います。しかし、夢を誰かに託すのはいかがなものかと思います。

 託した相手にやる気と能力がないと、夢を追うことができないため、意味がありません。加えて、人に夢を託す場合の多くは、その人の行動を変えさせようと努めることになります。託された当人も同意できる場合を除き、それは迷惑です。その期待に沿わないと責められる(又は責められるのではと恐れてしまう)からです。この不幸が、冒頭の母に小言を言われる翼に現れています。

  人に期待するなというのはアドラー心理学に通じますね。

 

 

まとめ

・必ずしも夢を追わなくていい(追える人は追ってもいい)

・人に夢を託すのはよくない
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