元号も天皇制も廃止すべきでない 伝統がとても大事(私個人の好み)
元号の良さ
新元号が発表され、本当に感無量。
なぜかわからないくらい喜びに溢れた。何回も紙に書いてみたり。
元号の良さが何なのか考えると、これはもう「伝統があること」に尽きる。
千年以上前から続いてきたと言うだけでロマンを感じる。
元号も天皇制も廃止すべきでない
元号を廃止すべきでない理由――それは「もったいないから」の一言だ。
利便性は二の次、三の次。実用性にはあまり関心がない。それよりも自分の中のこだわり・好き嫌いのほうが大事。もったいないという感情は、私の中でとても大きい。何の役に立たなくても、小学生の頃のノートやら鉛筆やらを大事にする性分だ。伝統は、それが長年続いてきたというだけでありがたい。
天皇制もそう。歴史を区切って振り返ることができるとか、皇室外交に役立つとかは特に関心がない。
他の伝統
似たものでは、令制国もできれば使い続けてほしかった。「東京都管下武蔵国千代田区」「長野県管下信濃国上田市」みたいな表記法が続いていればかっこよかったのに。
平成29年度夏季企画展「長野県誕生!―公文書・古文書から読みとく―」を開催して | 国立公文書館
話がそれていくが、地名としての都道府県はどうもしっくりこない。都道府県名は都市名や郡名に由来しているから、○○県の○○が県名と都市名の両方を指すようになってしまい、紛らわしい。しかも、単に○○と言ったときに、由来となった都市名をさしおいて県名を主に指すことが多くなっているのが気持ち悪い。
令和について
令月と言う言葉を初めて知った。
「『めでたい月』か。なるほど、令はいい意味の漢字として使ったのか~なるほどね~」と単純に思った。いい元号だと思う。
でも、「命令の令だからよくない!」という意見もネット上で散見された。
おそらくこういう人には三種類いて、
①「いい意味もあることを知らない人」
②「いい意味があることは知っているが、それでも命令の令だからよくないと思う人」
③「①②の二種類の人がいるからよくないと思う人」
に分かれる。
①の人はいずれ②③に移行するから置いておく。②はちょっと理解に苦しむ。漢字に複数の意味があるのは全く珍しくないのだから。③はわかる。
②については現政権に対する批判と絡める主張もあるが、さすがに言いがかり、または被害妄想にしか聞こえない。
2019/04/02追記 選定方法はイマイチ
新元号 6原案中4つは 「英弘」「広至」「万和」「万保」 #nhk_news https://t.co/QKpPxSTd6E
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年4月1日
しかし選定方法には問題がある。首相が関与しすぎだ。今日のニュースを見てがっかり。
①中国でなく日本の古典から
さらに6つの原案は、一枚の紙に典拠とともに五十音順に並べた形で懇談会の有識者などに示され、多くから「令和」を推す意見に加え、出典を日本の古典にするよう求める意見が出されたということです。
漢籍を出典とするのがこれまで伝統だったのに。あえて伝統を崩すのはいただけない。
事前にもそういう意見があることは聞いていたが、まさか本当に日本の古典を出典とするとは思わなかった。
日本の古典からも? 伝統的であることが拠り所の元号の伝統をあえて崩すのはどうなのさ"@nhk_news: 新元号の候補案 すでに十数個に絞り込む #nhk_news https://t.co/W6ySDdg7hD"
— okushishu (@okushishu) 2019年2月28日
昭和から平成になるときも日本の古典由来の元号候補があったらしいので、「日本の古典由来の元号候補を入れる(が採用はしない)」ことが新たな伝統になったりして。まあこれすら邪道だと思うけれど。 https://t.co/1VZBnol4bH
— okushishu (@okushishu) 2019年3月2日
日本の古典を出典とすることになにか合理的な意味があるならいいが、どうも首相の嗜好だけでそうなったように思える。有識者が自分の考えでそういう意見をだしたのならいいが、事前にそういう政権側の意向が示されていた以上、それを反映したものと思われても仕方ない。実際はどうか知らないが、そう思えてしまうこと自体が問題だ。元号にケチがつく。
②最終決定者が首相
これを受けて、全閣僚会議では、杉田官房副長官が懇談会では「令和」に支持が集まったことを説明したあと、複数の閣僚が意見を述べましたが意見集約は行われず、最終的に安倍総理大臣に一任する形で「令和」が新元号に決まりました。
実際にそうであっても、首相が最後に一人で決めたと受け止められる形で報道されるのはよくない。
首相は実利的な存在であり、その仕事内容によって常に批評にさらされる立場だ。だから元号決定者にはふさわしくない。実利を離れた文化人や学者の裁量を大きくしてほしかった。懇談会で決定させるくらいに。
おまけ 天皇
今上天皇への賛美をよくみるが、複雑な気持ちになる。
「あなたは頭がいいから好きだ」「あなたは顔がきれいだから好きだ」などと言われて手放しで嬉しい人はあまりいないだろう。そうじゃなかったら好きじゃないのかよと思うからだ。
それと似た話で、天皇の具体的な行為を取り上げて賛美してしまうと、今後賛美できるような行為をしない天皇に対する評価が低くなる。会社員を業績で評価するのと同じような状況だ。
天皇は君臨する存在。会社で言えば、従業員でも社長でもなく、会長だ。
だから天皇が自身の考えで行うことについてあれこれ批評するのは、「良い天皇」「悪い天皇」が生じてしまう。それでもいいのか?
だいたい、「○○するからこの天皇はよい」という判断を上から下す立場に立ちたいか? まあ天皇は国民の総意に基づくのだから国民の側から批評するのは当然とも言えるかな?
まあこの問題はややこしい。天皇を単なる機関としてみるか一個人としてみるかの違いとも言える。私は前者の見方。天皇を伝統的存在として見ている。後者の見方をするなら、その行為を批評するのはおかしくない。