化哲感想

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映画『風立ちぬ』 芸術家達の生き様

 

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風立ちぬ

 美しさを重んじ、作り、保つ人達(=芸術家)の生き様を描いた物語でした。特に主人公・二郎と妻・菜穂子の生き方が芸術家的でした。

本庄 実利的人物

 二郎の友人の本庄は、芸術家とは対称的に実利的な人物でした。サバの骨の曲線の美しさを愛でる二郎に対し怒って早く食えと言うシーン、日本の技術力のなさに憤るシーンによくそれが現れています。美の追究だけにかまけることなく、日本に必要な飛行機を開発するのだという意気込みにあふれています。バランスの取れた優秀な社会人です。

 二郎に対して「日本の飛行機を一人で背負ってるような顔しやがって」とつぶやく場面がありましたが、それはむしろ本庄自身の心情を指しています。二郎を同じ技術者としてとしてライバル視しているがゆえの錯覚でしょう。

二郎 ひたすら美を追究するブレない芸術家

 一方で二郎は、美しいものを作りたいという気持ちにのみしたがって行動していました。本庄が憤る場面でも、二郎は常に飄々としていました。本庄に急かされようが、日本の技術力が低かろうが、二郎の設計を邪魔しない限り二郎が心を乱される理由がなかったからでしょう(日本の技術力が低くても二郎が自分なりに工夫して設計すればよいだけであり、他国との戦争が不利であっても大した問題ではない)。菜穂子との結婚後も、飛行機の設計という仕事を犠牲にすることはありませんでした。

菜穂子 美を追究する同志

 自身も絵描き(素人でしょうが)であり、美しさを重んじ、作る人物です。余命わずかの身です。

 二郎が飛行機の設計を最優先にすることに納得しています(むしろ飛行機の美を追究するその姿勢が好き)。二郎も菜穂子も、延命よりも二人でいる時間を増やしたいと願います。二郎と菜穂子は、二人の生き方に関して互いに完全に同意しています。結核患者の横でタバコを吸うのは健康面でいかにもまずいですが、だからこそ二人の相互理解が確かなものであるとわかります。

 病気が重くなった菜穂子は、絵を書くことはなくなったものの、二郎に見せる自分の美しさを保とうとすることで、芸術家であり続けていました。終盤、やつれた姿を見せたくない菜穂子は山の病院へと戻ります。二郎は菜穂子の美しさへのこだわりを理解しているでしょうから、予想外のこととはいえ二郎は菜穂子のこの行動を理解しているはずです。

 菜穂子の早死には悲劇ではありますが、美を追究する同志として互いに理解し合っており、その点ではふたりとも幸せだったと思います。

菜穂子「生きて」

 最後のシーンで、夢に現れた菜穂子の「生きて」という言葉に二郎が涙します。これはどういう意味だったのでしょう。一機も帰ってこなかった零戦に続いて現れたのが、帰らぬ人となった菜穂子でした。儚く失われてしまった零戦と菜穂子が対比されています。最終的に二郎は、生きること自体が美しいことだと悟ったのでしょうか。