化哲感想

アファンタジア(映像を想像できない) 2013入社(メーカー技術)

仕事愛好家の良し悪し 仕事が楽しいと素直に言えるか (アニメ『花咲くいろは』についても考察)

仕事は好きですか?

 「ウチの仕事はおもしろいよね」と同僚に同意を求められると、ちょっと答えに窮します。「今の仕事はどう?」と仕事が好きかどうか暗に問われる質問にもです。仕事が面白くないと思っているからではありません。そういう会話においては、仕事が面白いとはなぜか堂々とは言いづらいのです。なぜなのか考えてみました。

 私も、仕事をしていて楽しい、面白い、やりがいがあるなどとポジティブな感情を抱くことはあります。ただ、仕事に対して感じるのはそれだけではありません。仕事では辛いことのほうが多いものです。体が疲れますし、面倒さとか虚しさ、その他嫌な思いをすることもしばしばです。私にとって、仕事の全体を見ればネガティブなことの方が多いのです。プラマイ計算すれば赤字です。そのため、仕事の良い面だけを取り出して仕事が面白いとか仕事が楽しいと言うのは、悪い面に目を向けないことになるため抵抗があります。

 

仕事愛好家

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仕事愛好家の分類

 大抵どの職場にも、仕事が大好きで仕事を楽しんでいる人がいると思います。ここでは仕事が好きな人を「仕事愛好家」と呼ぶことにします。なお、仕事中毒(ワーカホリック)は、仕事をせずにいられない状態を指すようなので、仕事愛好家とは違います。

ワーカホリックとは - コトバンク

 私もある程度仕事愛好家の要素を持っていて、仕事中には仕事が楽しいと感じることがよくあります。しかし私の場合、家にいて仕事をしていないとき、仕事中ほどには仕事を好きだと感じません。仕事は人生においてそこまで重要でないから、なるべく早く済ませて帰るべきだと感じます。それなのに、仕事中には次第に仕事が嫌でなくなっていきます。仕事に行くときは辛く、帰宅時は辛くないという具合になります。私だけでなく割と皆そうかもしれません。

 

コンコルド効果 サンクコスト効果

 ここに仕事を好きになる原因が見えます。それは、仕事をするには犠牲(時間と労力)を払う必要があることです。犠牲を払ったのだからその対象が重要に思えるという心理が、仕事を徐々に辛くなくしていると考えられます。これはコンコルド効果とかサンクコスト効果などと言われます。例としては以下が挙げられます。

    • 息子を戦争で失った人に対し、政府が「あなたのご子息は犬死しました。この戦争に意味はありませんでした。」とは言えない。
    • とある宗教の教義に従い、貴重な家畜を生贄に捧げた人々は、その後信仰心が揺るがなくなる。(以上2例は『ホモ・デウス』で取り上げられている)
  • 人に好きになってもらうには、その人に自分のために何かをさせるべき。(よくある恋愛指南)

 仕事を離れると仕事への情熱が冷めるのは、仕事に費やした犠牲の量をある程度忘れてしまう(仕事での苦労の実感が薄れる)からではないでしょうか。犠牲の量を忘れると、客観的に自分にとって仕事が重要なのか判断できるようになります。それでも仕事が好きだと言える人こそ、真の仕事愛好家だと言えそうです。逆に仕事中以外は仕事が好きと言えない人は、偽の仕事愛好家です。私もどちらかというと偽の仕事愛好家です。仕事が好きな面もあるとはいえ、前述の通り、仕事全体として好きとは断言できません。労働時間が長すぎて仕事での苦労の実感がなくならない人も、仕事自体が好きかどうか冷静に判断できない時点で偽の仕事愛好家でしょう。

 

ランナーズハイ

 仕事をしているうちに辛くなくなってくるのって、ランナーズハイに近い状態ですね。辛かったはずのことが楽しくなってくる。仕事を続けるにあたってはさしあたり良い現象と言えるでしょう。もし仕事に行く直前の心理状態(あー会社行きたくないよ)のまま一日中仕事をするとなると、どれだけ辛いかわかりませんから。

 しかし、偽の仕事愛好家にとって、ランナーズハイには致命的に悪い面があります。自分にとって重要なことがわからなくなることです。ランナーズハイによって仕事が辛くなくなるとしても、人生の中のイベント全体としてみたときに、仕事以外で自分がやりたいことができなくなります。定年退職後や死ぬ前に、「なぜあんなに仕事ばかりしていたんだろう……」と後悔するのはこのパターンです。仕事に割く労力が少ないに越したことはありません。

 ランナーズハイから冷めても仕事が好きだといえる真の仕事愛好家にとっては、体を壊したり周囲の人に迷惑をかけたりしない範囲では、仕事に没頭しても悪いことがありません。大いに頑張って、社会貢献と自分の楽しみを両方達成したらいいと思います。

 

花咲くいろは』に見る仕事愛好家

 『花咲くいろは』というアニメに、仕事愛好家という観点からみて面白いエピソードがあります。旅館の中堅従業員(仲居頭)として働く輪島巴が、仕事への姿勢を変える話(第7話)です。

「このまま仕事続ける意味有るのかしらねー」
「ほんと、若いっていいわね~。前途洋々で夢と希望に満ち溢れてるし。(中略)それに比べて私と来たら、毎日毎日同じことの繰り返しで……。巴さん、生きてる気がしないんだよ~!(独り言)」

 序盤でそのようなことを言って仕事を辞めることにした巴は、とある事件を通じてやりがいを味わったことで、最終的に次のように母親に語ります。

「この仕事しとって、すんごいしんどいときほど生きとるって実感が湧くげん。そんときは生きた心地もしんげんけどね。(※方言のためよく聞き取れない)」

 巴は、偽の仕事愛好家から、真の仕事愛好家に変身したのだと思います。

 共感できるかどうかにかかわらず、こんなふうに新たな視点を獲得する展開はアツいですねー。

人生観の変化も

 余談ですが、この輪島巴のエピソードには別の記事で整理した人生観の分類もうまく使えそうです。

okushishu.hatenablog.com

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強迫観念・退屈・虚しさ 状態の分類

 初めの巴は、状態C「このままじゃダメだ」か状態D「虚しい」のどちらか又は両方と考えられます。最後には状態E「気晴らしに打ち込める」に移ったのではないでしょうか。状態B「忙しいけどこれでいいのだ」の方が一見近そうですが、状態BとEは強迫観念の有無で区別されます。一旦は仕事を辞める決意をしたということは、巴は仕事をすること自体に絶対的な意義を感じているわけではもはやないでしょう。それにもかかわらず仕事を楽しめるようになりました。巴にとっての仕事が、「とりあえず続けていた習慣」から、「打ち込める気晴らし」になったといえます。気晴らしに打ち込める状態Eは私も理想とする状態ですから、巴が羨ましいです。